2012年5月27日日曜日

アイディアラボ〔β〕のロゴができました!

みなさん、アイディアラボ〔β〕のかっこいいロゴができました!デザイナーさんに注文したのは、「近未来的で、クールな感じ」です。出来上がりを見ると、近未来的で、クールな上に、なんとなくヒューマンな感じもしませんか?ロゴの頭のマークはデザイナーさんいわく、「このマークはパソコンや家電にも使われる「電源スイッチ」の中央を「idea」の「i」にしたものです。アイディア創出のスイッチがこのラボにあるという意味合いです。」だそうです。

いいですねー、ちょー気に入ってます!
これをデザインしてくれたデザイナーさんは、アイディアラボにもいつも来てくださっている、
このかたです! ありがとうございました!

2012年5月24日木曜日

ランニングと宗教

タイトルからして物議を醸す雰囲気ですが(笑)最近、宗教関係の本を読んでいて。

昔から宗教についてはとてもとても興味があります。といっても、特定のではなく。むしろ、その「祈り」に向かう人の心に。

祈りって、「原因をどこに求めるか」ということではないか、と思っています。自分に不幸があるのは、何が原因か。それは人が持っている原罪のためか。2人が禁断の果実を食べたためか。それとも、因果応報か。はたまた、世の中にはただモノがあるだけで、偶然しかないのか。幸せはどこから来るか、ということでもあるかもしれませんね。

最近ジョギングをはじめて、はまっています。アームバンドにiPhoneを入れて、なんかランニングを記録するアプリで記録して、オークリーのサングラスなんかかけてがんばってます(笑)

ランニングしている時の心の動きって、もしかして「祈り」ではないか、と思ってしまったのが今日のタイトル。ある作家は「草むしりはメディテーション(瞑想)だ」って書いていました。その視点から見ると、ランニングしている時の心の動きは瞑想に近いのかな、と思いました。

さらに、ランニングしている心のなかに「健康になりたい」「体を強くしたい」「もっと早く走れるようになりたい」などの「願い」があるように感じました。それから、終了後の爽快感。あれは、お墓参りや寺社仏閣に参拝した後の清涼感に似ているなあ、と思いました。このへんの気持ちについては、拙ブログにて以前にも書いています。

なんか、そうやって考えて行くと、カンペーちゃんの「アースマラソン」って、もしかすると「救いを求める巡礼の旅」だったのかな、と思ったり。そこに、彼の病気や、清志郎が亡くなった時の彼の大粒の涙が重なったり。
まあ、僕の2kmくらいのランニングで、世界一周を語っては、一滴の水と太平洋くらいの違いがある訳ですが(笑)

宗教家の方も何人か知り合いがいて、このブログを読んでもらう可能性があり、非常に恥ずかしいのですが(笑)、ランニングをしていて、宗教について考える。体を動かして、心の動きを知った今朝でした。

2012年5月23日水曜日

DSPミーティング

着実に進んでいるプロジェクト、DSPですが、近いうちにロールアウトできると思います。今回のMTGはメンバーも増えて、ガンガン盛り上がりました。池山はファシリテーターを務めている訳ですが、「みなさん、どうしますか?」っていうスタンスで(笑)フリートークでドンドン盛り上がっていました。参加者さんのスキルが高いと、ファシリタータは本当に楽です(笑)


さあ、6月中にはキックオフのプレイベントを行いますが、これはクローズのイベントになります。その模様をキックオフの告知でお知らせしますね。

近いうちにWEBと紙媒体で、お知らせできることになると思いますので、そのときにはこちらでもお知らせします。もう少しお待ちください。

今日、MTGでホワイトボードに議事録を写し、その横に書き込んだりして進めてみたんですけど、これ、なかなかいいですね。ホワイトボードって結構プロジェクタの発色も良いし、画面に書き込むような感じです。

でも1テーブルくらいの小規模なMTGならプロジェクタより、32型くらいの液晶テレビの方が使い勝手がいいかもしれませんね。

2012年5月17日木曜日

ファシリテーター滅びの美学

また、なんのこっちゃ、というタイトルですいません。でも、こう思うんです。
この事について、中野民夫さんは「ファシリテーション革命(岩波アクティブ新書)」野中で、「ファシリテーター8か条」のその1として、こう書かれています。

「フラット現れふらっと去る。オイラは脇役、縁の下の力持ち〜参加者が主体の学びの場、よい体験が残っても、ファシリテーターのことは忘れられるくらいがいい、ちょっと寂しいけど」。そして、本文中では、ある時に武蔵野市で行ったワークショップの参加者さんの言葉を紹介しています。それは「今日体験した様々なことは、きっと今後も何度も何度も思い出すことだろう。だけど、中野さんのことはたぶん思い出さないと思う。そこまで存在感を消すのはすごい」。

僕の言う「ファシリテーター滅びの美学」はこれに近い物で、「ファシリテーターは腕が良ければよいほど、存在が不要になってしまう」というジレンマです。ファシリテーターは「促進する人」「触媒」のようなもので、ファシリテーターいなくても、上手く対話が進んでいくのが理想です。つまり、働けば働くほど、必要ではなくなっていく。これを「ファシリテーター滅びの美学」と呼んでいます。
 どうしても最初のうち、ファシリテーターを拝命すると、議論を仕切ろう仕切ろうとして、発言が多くなってしまったりします。また、自分の想定を人に押し付けてしまうこともありがちです。
すべての人は、全員違うコンテクスト(言葉の意味とでもとらえましょう)を持っています。目の見える人にとっての「携帯電話」と目の見えない人にとっての「携帯電話」というものは、おそらく自分の中に占める大きさや、意味合いが大きく違うと思います。それを、同じ「携帯電話」という言葉で表現して対話をするときに、コンフリクトが生じてしまう可能性があります。誰もが違う。
 また、どうしても意見が出ないと困ってしまったり、「○○さん、どうですか」と必要以上にふってしまう場合もあると思います。個人的には指名発言は最小限にしたいと思っています。沈黙は沈黙で受け止めることも大切ではないでしょうか。



ファシリテーション革命 (岩波アクティブ新書)

 中野 民夫 (単行本 - 2003/4/5)

新品:¥ 777


アマゾンにリンクしています。中野民夫さんに敬意をこめて。ファンです(笑)

2012年5月16日水曜日

シャープ株式会社三重工場さんでステークホルダーダイアログを実施しました

去る5月15日に、シャープ多気工場さんで、企業の多くの利害関係者さんをお招きして対話を行う、「ステークホルダーダイアログ」を、Mブリッジメンバーにて企画運営させていただきました。ワークの設計、メインファシリテーターは池山が務めさせていただきました。


この企画は、三重県との恊働事業で三重県にステークホルダーダイアログを根付かせる、という狙いのモデルケースでもあります。この日は18名の外部ステークホルダーさんと、社員さん4名、Mブリッジメンバー6名、オブザーバーとして、恊働実施主体である、三重県のNPO室の方と本当に多くの方にご臨席を賜りました。

当日はあいにくの雨。あまりにも申し訳なくて「池山は雨男なんです」のいつものネタは言えずじまい(笑)
天気がよければ三重工場の水の浄化、循環システムを皆さんに見学いただく予定ですしたが、急遽室内の環境報告展示を担当者さんのご案内のもとに見学していただきました。


お集まりいただいたステークホルダーのみなさんは、地域の住民の方、関連企業さん、大学生さん、NPO法人のかた、地元銀行の方、他地域の企業さん、多気町役場の方、三重県庁の方、地元で環境活動していらっしゃる団体の方などなど、そしてもちろんシャープ株式会社の従業員さんも同席していただきました。中日新聞さんにも取材をしていただきました。


内容は2部に分かれ、前半ではシャープ三重工場さんで発行しておられる、環境、社会貢献活動の報告書について、みなさんの意見を頂くもの。そして、後半では、今後のシャープ三重工場さんのCSR活動について、みなさんからご提案を頂くもの、としました。
ご参加の皆さんの意識が非常に高く、さらに協力的な雰囲気の中、非常に盛り上がったダイアログとなりました。最後には、皆さんよくご存知のこの写真、アームストロング船長の月面への第1歩で示させていただきました。三重県内の企業さんのCSR活動の新たな1ページを開くこのダイアログに同席させていただけた事を本当にうれしく思いました。

Mブリッジでは、今年一年間、三重県さんとの恊働事業としてこの「ステークホルダダイアログ」を推進してまいります。池山はデザインとファシリテーターとして関わらせていただきます。

今後、ステークホルダーダイアログについての様々な情報発信も行います。ステークホルダーダイアログを実施したい、または参加したい、とお考えの皆さん、こちらのサイトで情報発信を行って参りますので、ぜひご覧頂ければ、と思います。


今回のシャープ三重工場さんのステークホルダーダイアログに関わっていただきました、皆さん、本当にお世話になりました。これから、三重県のCSRが変わり始めます。どうか、今後もお力添えを頂けますよう、よろしくお願いいたします。

2012年5月10日木曜日

DSP着実に進行中

アイディアラボ〔β〕からスピンオフしたプロジェクト、「DSP」。着実に進行しています。

今回で5回目のMTGをもちましたDSP。このプロジェクトはある企業さんから、一つのプロジェクトの進行を丸まる一つアイディアラボ〔β〕が請負う、といものです。今後、このプロジェクトから派生するワークショップやイベントが行われていくことになります。池山は個人的に社会実装されたアイディアラボを〔α〕、そうでないものを〔β〕と認識しています。

実は、今池山の頭の中には〔Σ〕の構想があります。これも、池山の内部で熟成し、時期が来れば皆さんにお知らせできることになると思います。〔Σ〕の実現には多方面からのご助力を頂く必要がありますので、その際はぜひお力添え頂けますよう、よろしくお願いいたします。

ありがたいことに、アイディアラボ〔β〕に研修講師のご依頼も頂いております。米山、池山で来月お邪魔する予定です。

さらにスピンオフのワークショップのアイディアも、地元で一つ二つ、県外でも一つ、暖めています。思いつきではじめたアイディアラボ〔β〕ですが、みなさんにかわいがっていただいて、本当にうれしい限りです。

アイディア創出+コミュニケーションあたりでしたら、講師ご依頼頂きましたら、全力でつとめさせていただきますので、一度ご相談ください。

今回アイディアラボ〔β〕で買った小さいホワイトボードにプロジェクタで投影してみたら、非常に具合が良かったです。1テーブルでのMTGの場合には、こういう小さいスクリーンはかなりありだと思いました。

2012年5月9日水曜日

ステークホルダーダイアログの打ち合わせを行いました

先日、松阪市市民活動センターにて、今月企業さんで実施するステークホルダーダイアログのスタッフ6名で打ち合わせを行いました。当初は、ダイアログのワークショップの内容の打ち合わせでしたが、その前に、「ダイアログ」というものについて、みんなの意見をすりあわせておいた方がよいのではないか、ということで、かなり観念的な定義のお話をしました。


池山のへたくそな字で、ホワイトボードがいっぱいになっていきます。「ダイアログ」とくに「ステークホルダダイアログ」というのは、概念からして新しい物なので、みんなの中にも少しずつ違いがあります。そこを、すりあわせていきます。まさに、この過程こそが「ダイアログ」です。



みんなで、最終的に合意したのは、「ダイアログ」とは、「出会う」そして、「理解し合い」、「同じ方向を向く」もの、という風にみんなで理解しよう、ということでした。僕自身もファシリテーションをしながら、とてもわくわくするような過程でした。
合意して最後に、みんなでギフトボックスをやってみました。今回の答えは、最近見ない、あれ、でした(笑)

2012年5月8日火曜日

中島義道「対話のない社会」


「対話」のない社会―思いやりと優しさが圧殺するもの (PHP新書) 中島 義道


この本の中に「<対話>の基本原理」として今から引用する12か条があがっていました。非常に優れていると思ったので、ご紹介します。日本にもこれだけ深く対話について掘り下げた人がいたんだな、と思います。書籍は1997年ですから、15年ほど前のもの。

以下引用。

<対話>の基本原理
(1)あくまでも一対一の関係であること。
(2)人間関係が完全に対等であること。<対話>が言葉以外の事柄(例えば脅迫や身分の差など)によって縛られないこと。
(3)「右翼」だからとか「犯罪人」だからとか、相手に一定のレッテルを貼る態度をやめること。相手をただの個人として見ること。
(4)相手の語る言葉の背後ではなく、語る言葉そのものを問題にすること。
(5)自分の人生の実感や体験を消去してではなく、むしろそれらを引きずって語り、聞き、判断すること。
(6)いかなる相手の質問も疑問も禁じてはならないこと。
(7)いかなる相手の質問に大しても答えようと努力すること。
(8)相手との対立を見ないようにする、あるいは避けようとする態度を捨て、むしろ相手との対立を積極的に見つけてゆこうとすること。
(9)相手と見解が同じか違うかという二分法を避け、相手との繊細な「違い」を大切にし、それを「発展」させること。
(10)社会通念や常識に納まることを避け、常に新しい了解へと向かってゆくこと。
(11)自分や相手の意見が途中で変わる可能性に対して、常に開かれてあること。
(12)それぞれの<対話>は独立であり、以前の<対話>でコンナ(ママ)ことを言っていたから私とは同じ意見のはずだ、あるいは違う意見のはずだというような先入観を棄てること。

以上、引用。(本書P132〜133)
多少、大きく見ると重複するような内容もあるような気がしますが、非常に優れた列挙だと思います。中でも、(11)については、日本人は意外と苦手な気がします。
「話が違うじゃないか」「一貫性がない」という批判をよく聞きます。
これは、立場を対立して、AかBか、と問う議論の場合には適切な批判かも知れません。Aという意見の人がCという意見に変わってしまっては、もはや議論が成り立ちません。

しかし、対話の場では、「意見が少しずつ変わる」「歩み寄る」ということを「是」とします。また、変わることを「是」とする、むしろ奨励する対話のデザインが必要だと池山は思っています。

(9)の「違いを発展させる」という言葉もすばらしいですね。(8)で対立を避けるのではなく、「違い」をあえて発見する。そして、これは私見ですが、その対立をもたらす各自の「想定」を発見し、理解する。そして、その「違い」を発展し、お互いが少しずつ変わる。

非常に、大きな示唆のある12か条だったので、少し長かったのですが、引用させていただきました。

2012年5月7日月曜日

ワークショップデザイン:防災に関するワークショップ


玉城町で去る3月3日に行った防災関係のワークショップの事を玉城町のケーブルテレビ、行政チャンネルで放送いただきました。

2012年5月6日日曜日

ファシリテーションの心その3

3回連続でファシリテーションの心、について書いてきましたが、最後は「ファシリテーターの責任」ということについて書いてみたいと思います。

第1回では、「評価せずに受け止める〕第2回で、「書いて掲示する」ということを書きました。最後はファシリテータの現場へ向かう時の心についてです。

よく、「ファシリテーションするのは緊張します。だって、結論が出なかったら、と思うと責任重大ですよね」と言われることがあります。果たして、結論が出る、出ないはファシリテーターの責任でしょうか。

第1回でもサッカーの試合に例えましたが、ではAまたはBという結論が出るということを勝敗が決まる、とし、引き分けということを結論が出ない、としてみましょう。勝敗が決まらず引き分けることはレフェリーの責任でしょうか?Aチームが勝ったことはレフェリーの責任ですか?

違いますよね。ファシリテーターは「中立」かつ「公平」に関わる、と言いました。ということは、結論にも利害を持つべきではありません。結論に利害を持っているのはだれでしょうか。もちろん、参加者さんです。

これは妙な言い方かもしれませんが、ファシリテーターは結論には利害関係を持つべきではありません。そして、その結論の責任をファシリテーターに求めるべきではありません。では、ファシリテーターは何に責任をもつのでしょうか。

ファシリテーターが責任を持つべきなのは、結論に至る、あるいは至らないプロセスが「公平」なもので、「公正」なものであったか、ということだけです。多くの人の意見が出て、多くの人の意見を聞けて、そしてファシリテーターがいずれかの意見に傾くことなく、対話の場が進められたかどうか、そこにファシリテーターの責任があります。

落としどころのある会議、というものが時折あります。最近池山はこの映画を見ました。この映画は、ヴァンゼー会議といって、15名のナチスやドイツ政府の高官が美しい邸宅にあつまって、世にも恐ろしいアウシュビッツでのユダヤ人の虐殺を決定した会議の模様の実話(異論もあるようですが)を映画化したものです。このなかでは、既定路線としてユダヤ人のガス室での大量虐殺に向けて、秘密警察の局長ハインリッヒ・ミュラーを議長とし、有名なアドルフ・アイヒマンを副官にして会議が進められます。そこには、恫喝、根回し、誘導など、「落としどころのある会議」のよくない面が満載です。この場合には、ハインリッヒはその作戦の責任者で、もうやることは決まっていて、そこに対する同意を取り付けるためだけに開かれた会議、というものでした。つまり、議長(ファシリテーターとは言えません)が結論に対して大きな利害関係を持っていました。

もう一度確認しますが、結論に対してファシリテーターは責任を負いません。ファシリテーターが責任を負うのは、プロセスについてです。そのプロセスが「公平」で「参加者全員が納得できるもの」であることについては、ファシリテーターが大きな責任を負うことは確認しておく必要があるのだと思っています。

2012年5月5日土曜日

ファシリテーションの心2

池山の考えるファシリテーションの心、ということで前回は「受け止める心」ということで書きました。今回は第2回です。サブタイトルは「書くことの力」とでもしましょうか。

前回は、参加者さんの意見を「評価せずにただ受け止める」と書きました。「受け止める」とういことは、「意見に同意する」ということではありません。「なるほど、あなたはこういう意見なんですね」と受け止める、ということだけです。そこには、評価も、否定も、そして賛同も、肯定もありません。ただ、あるがままに意見を受け止める、だけです。

人というのは欲があります。それは、マズローの欲求5段階説や、仏教の教えを考えてみてもそうですが、とどまるところを知りません。もちろん、池山の心の中にも「認められたい」とか「自分の意見を通したい」という欲求があります。

ファシリテーションの現場で参加者さんが発する意見の一つ一つの中には、大なり小なり、こういった欲が含まれていることが多いです。それは、「思わく」であったり、「利害」であったり、はたまた単純に「いいことを言うと思われたい」という欲であったりします。

参加者さんの発言にはそういった欲が張り付いていることが多く、そして、その意見を「無視」されたり、「否定」されたりすると、そこで不満が高まり、ファシリテーターに対する「信頼」を損ねる原因となります。

では、どうその意見を受け止めればいいのでしょうか。その答えは「書く」ことです。それも、ノートやメモではなく、みんなの見えるところに、「書いて掲示する」ということです。ホワイトボードに書くのが理想的ですね。でも、ホワイトボードは面積的なものであるとか、そもそも、あるかないか、という制約も多いですから、かいつまんでポストイットに書いて、壁に貼る、というのも一つの手かもしれませんね。

この「書いて掲示する」ということには二つの意味があります。今書いたように、発言 者さんの「欲」をなだめる、ということが一つ。もう一つは、「意見を人と切り離す」という側面です。

例えばポストイットに意見を書いて貼った場合を考えてみましょう。社会的地位の高い人の意見だからといってポストイットが目立つ、ということはありません。また、声が小さい人の意見だからといって、文字が小さくなる訳ではありません。

このように、「書いて掲示する」ことによって、意見は人から切り離され、客観的な一つの意見、として扱うことが可能になるのです。

ファシリテーターは「○○さんの意見」と言わずに、「この○○という意見」という風に扱うように気をつけないといけません。池山は突っ込んだ説明をもらうときには、「この○○という意見は誰が出してくれたんですか?」とわかっていてもあえて聞くようにしています。そのことで、意見を扱っているのであって、人に対する話をしているのではない、というアピールをしています。

このことで、結果として意見が人と切り離されているので、「参加者の安全」ということにもつながって行くと思います。

ファシリテーションの心その2は「書いて掲示する」ということでした。

2012年5月4日金曜日

ファシリテーションの心1

わけあって、今回から3回連続くらいで池山が思う、「ファシリテーションの心」みたいなものを書いてみたいと思います。第1回のサブタイトルは、「受け止める心」です。







ファシリテーターは中立、かつ公正であれ、と言われます。簡単に説明すれば、サッカーの試合のレフェリーをイメージしてもらえばわかります。AチームとBチームが試合をしている時には、当然利害が対立していますね。両チームとも勝つ、という結論はあり得ないので、ゼロ100の利害対立ですね。

試合の中に入ったレフェリーがもちろんどちらかに加担してしまったら、その時点でそのレフェリーは信頼を失ってしまいます(中東の笛、なんていう言葉もありますが(笑)))

しかし、通常の場合には、ファシリテーターも内部の人間であったり、リーダーであったりすることがあると思います。その場合に「中立」というのは非常に難しい部分が出てくるように思います。

しかし、サッカーの試合のレフェリーを考えてみると、通常の場合、例えば日本対韓国であれば、その2国以外、例えばシンガポール人の審判をつけることになります。つまり、これが「中立」ということですね。

そのことの本質を考えてみると、実は本来的に求められているのは、「中立」ではなく「公平」ということではないでしょうか。審判がどちらかに偏った時に、試合の勝敗の意義が大きく失われてしまう訳です。

チーム内の人がファシリテーションをする時には、「中立になれなくて」などと言われますが、以上のように、必要なのは「公平」または「公正」です。では、そのときに、どうしたら「公平」「公正」が保たれるのでしょうか。

そのためには、参加者からファシリテーターへの「信頼」が必要です。その「信頼」を得るためにはどうしたらいいでしょうか。それは、まず「私は今日は公平にファシリテーターをつとめたいと思います。皆さんの意見を評価したり、批判したりしないようにします。」と最初に宣言することです。そのうえで、「私が公平でない場合には、どうかみなさん、率直に指摘してください」と言うことが良いと思っています。こう宣言することで、ファシリテーターが「公平」であること、そして批判を受け入れることで、「公正」になろうとしていること、を参加者に伝えることができるのではないか、と思います。

宣言をしたファシリテーターは、参加者の意見を評価せずに「受け止め」ます。これは、「迎合する」や「同調する」とも違いますし、「批判する」「評価する」とも違います。ただ、その人の意見を、一つの意見として、人から切り離して「受け止める」のです。

人の意見の中には、その人の「想定」が入っています。これは、なかなか根の深いもので、あらゆる経験や、あらゆる知識、そして所属しているコミュニティや、家族、両親とのふれあい、などその人をとりまくあらゆるものがその人の中に入って、それがその人の「意見」の背後にある「想定」として存在します。

その「想定」を批評することは簡単ですが、その「想定」を否定してしてしまうと、対話は前に進むことができません。

ファシリテーターの心その1は「参加者の意見を評価せずに受け取る」ということになるのではないか、と思います。

2012年5月1日火曜日

アイディア創出ワークショップ第7回、β007を実施しました。

 ご参加の皆さん、ありがとうございました。少々ブログの更新が遅くなりましたが、β007満員御礼のもと、終了する事ができました。今回は「ビジュアリー」を隠れテーマにデザインしたワークショップとなりました。

 今回はいつもにも増してみなさんの笑顔が見られたような気がしております。恒例のポストイットアンケートのスキャンはもう少しお待ちください。


今回のテーマは、「バス、洗面、トイレタリー雑貨」というところにしました。これは、実は雑貨を扱う上でいろんな雑貨屋さんに下見に行ったのですが、実は雑貨の王様はキッチンなんだと思うんですね。ですので、今回のは「あわせて一本」というような感じで、バス、洗面、トイレタリー、という設定にしました。

最近は参加者のみなさんの要望も厳しくて(笑)そんじょそこらのお菓子では満足してもらえません。今回は2軒の店をはしごして、お眼鏡にかなうお菓子と飲み物をそろえました。この調子では、β020くらいでは、名古屋くらいまで買い出しにいかなければならなそうです(笑)


ここしばらくの池山のワークショップデザインを象徴する物は、この砂時計です。これで時間管理をしています。もちろん、少し前まで池山もタイマーで「ぴぴぴ」と時間管理をしていました。もちろん、それが正確なんです。
 しかし、あの電子音が少し嫌になったのと、もっと「ルーズな」(笑)時間管理をしたかったので、最近では砂時計を愛用しています。1分、3分、4分、5分と使い分けて時間管理をしています。


アイディア創出を助ける小物たちです。
アイディアラボはしばらく充電に入ります。しかし、幾つかスピンオフ、というか出張の企画が芽を出して来ているので、意外と早くお会いできるかもしれません。その日が早く来ます事を!