2012年5月24日木曜日

ランニングと宗教

タイトルからして物議を醸す雰囲気ですが(笑)最近、宗教関係の本を読んでいて。

昔から宗教についてはとてもとても興味があります。といっても、特定のではなく。むしろ、その「祈り」に向かう人の心に。

祈りって、「原因をどこに求めるか」ということではないか、と思っています。自分に不幸があるのは、何が原因か。それは人が持っている原罪のためか。2人が禁断の果実を食べたためか。それとも、因果応報か。はたまた、世の中にはただモノがあるだけで、偶然しかないのか。幸せはどこから来るか、ということでもあるかもしれませんね。

最近ジョギングをはじめて、はまっています。アームバンドにiPhoneを入れて、なんかランニングを記録するアプリで記録して、オークリーのサングラスなんかかけてがんばってます(笑)

ランニングしている時の心の動きって、もしかして「祈り」ではないか、と思ってしまったのが今日のタイトル。ある作家は「草むしりはメディテーション(瞑想)だ」って書いていました。その視点から見ると、ランニングしている時の心の動きは瞑想に近いのかな、と思いました。

さらに、ランニングしている心のなかに「健康になりたい」「体を強くしたい」「もっと早く走れるようになりたい」などの「願い」があるように感じました。それから、終了後の爽快感。あれは、お墓参りや寺社仏閣に参拝した後の清涼感に似ているなあ、と思いました。このへんの気持ちについては、拙ブログにて以前にも書いています。

なんか、そうやって考えて行くと、カンペーちゃんの「アースマラソン」って、もしかすると「救いを求める巡礼の旅」だったのかな、と思ったり。そこに、彼の病気や、清志郎が亡くなった時の彼の大粒の涙が重なったり。
まあ、僕の2kmくらいのランニングで、世界一周を語っては、一滴の水と太平洋くらいの違いがある訳ですが(笑)

宗教家の方も何人か知り合いがいて、このブログを読んでもらう可能性があり、非常に恥ずかしいのですが(笑)、ランニングをしていて、宗教について考える。体を動かして、心の動きを知った今朝でした。

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